このサイトについて

La Valse de Miriは、2004年1月にオープンしました。

その後、小説家&劇作家・柳美里のオフィシャルサイトとして様々な活動を行ってきました。

この10年、インターネット上のサービスの拡充が進み、それに合わせて本サイトも掲示板やブログなどを付設してきましたが、ツイッターやフェースブックなどSNSの台頭によって、個人が直接メッセージを送ることができるようになり、それに従い専用サイトの存在の意義も薄れるようになりました。

yu-miri.comをドメイン名にもつLa Valse de Miriの更新は2012年11月をもって終了し、その後はyu-miri.jpにドメインを移し、柳美里の書誌的な情報に特化したサイト運営を行ってきました。

La Valse de Miriは長らく休眠状態だったわけですが、この度、オープンソースのブログ/CMSプラットフォームのWordPressを設置して、新たなサイトとして情報発信していくことになりました。

以下に、La Valse de Miriがオープンした2004年1月7日に、柳美里が発表した文章を再掲します。La Valse de Miriの理念を受け継ぎつつ、新たな情報発信の場として活動していく所存です。

 

 

わたしは機械が大嫌いです。戯曲を書きはじめたころはもちろん手書きだったんですが(原稿用紙も好きじゃなくて、罫線のない真っ白なラクガキ帳に書いてました)、コピーして役者たちに配ったところ、本読みの最中に「この台詞、なんて書いてあるんですか?」と頻繁に訊ねられ(悪筆なんです)、自分の書いた台詞を音読するという 恥ずかしさに堪えられず、丸井自由が丘店でワープロを購入したのは、忘れもしない20歳のときでした。

5年間は失敗の連続で、全文削除のキーを押してしまっては、製造元のパナソニックに電話して、「どうしたら消えた文章が出てくるんですか? 原稿用紙50枚なんですよ。なんとか出してください」と涙声で訴え、キーボードにジュースや日本茶をこぼしては(飲みながら書くんです)、ドライバーでネジをはずして分解し、キーボードの裏まで達した水気をティッシュペーパーで拭き取ったものの、どのネジをどこに入れていいかわからずパニックになり、号泣しながらワープロをぶん投げ(当時は何ヶ月も温泉旅館にこもって書いていた)壁を凹ませて弁償したり──、というようなことばかりでした。

ファックスを購入したのは「週刊朝日」の連載エッセイ(『家族の標本』)がはじまった25歳のときです。原稿を送るだけだったらコンビニのファックスで十分だったんですが、ゲラのやりとりをしなければならないといわれ、ワープロを買った丸井の家電売場で購入しました。

ケイタイを持ったのは、インタヴューや対談などの待ち合わせ場所にタクシーで向かって渋滞に巻き込まれた場合、必要不可欠だと思ったからです。電話嫌いなので、基本的にはかけないし、鳴っても出ないし、留守電も気が向い たときにしか(ひと月に1度くらいかな?)チェックしません。

前置きが長くなってしまいましたが、わたしがいかに機械嫌いかということは解っていただけたのではないでしょうか。

だから、パソコンとは一生縁がないと思っていました。作家という作家がひとり残らずパソコンを使うようになっても、わたしは使うつもりはないし、使うことなどできないと見向きもしませんでした。

しかし、ある事件がきっかけで、パソコンを使わざるを得ないはめに陥ってしまったんです。当時『命』を連載していた「週刊ポスト」の飯田昌宏さん宛てに私信をファックスしたところ、編集部の何者かがそれをそのまま「噂の真相」に転送し、翌月に全文が掲載される(手紙の写真まで載せられた)という事件が起きたんです。

編集部はわたしに謝罪し、別室に専用ファックスを置くなどの措置を講じたのですが、万全ではないとのことで、今後のやりとりはすべてメールにしてほしい、とパソコンが送られてきたんです。飯田さんにメールの送受信のやりかたを教えてもらっている最中に(おおげさではなく)何度も泣きそうになり、そのたびに「柳さん、慣れれば簡単ですよ。泣かないでください」と励まされました。

結局、原稿をパソコンで書くことも、インターネットサイトをひらくこともできず、メール専用として使いはじめたのですが、原稿の催促メールしか送られてこないので、4、5日電源を入れないこともザラでした。

はじめて自分の名前をネットで検索したのは、2002年9月24日に処女小説『石に泳ぐ魚』裁判の最高裁判決が下った直後です。マスコミではなく、読者がどのように思っているか生の声を知りたいと思ったからです。そして偶然、「らばるす」というHNの男性が開設していた『らばるすさんち』というHPに辿り着いたのですが、あまりにもわたしの容貌や国籍をあげつらった差別的な内容の書き込みが多かったので、読むに値しないと思ってひらくのをやめたんです。

翌月の深夜──、自死を考えていました。
だれかの声を聞きたくて、アドレス帳の名前を読みました。
仕事相手ばかりで、電話できるひとがひとりもいないということに愕然としました。
だれもいない。
だれかいない?
だれか!

無意識のうちにインターネットにアクセスして、「淋しい」「助けて」と打ち込んでは検索しているうちに、ふっと『らばるすさんち』を思い出し、アクセスしてみたんです。

──HPは閉鎖されていて、<引越し先>をクリックすると、掲示板に「管理人さんが自殺したそうです。ご冥福を祈ります」というような書き込みがいくつもしてありました。
その瞬間、指先を通してなにかが伝わってきたんです。
それは、わたしを押し潰そうとしているのと同じもののような気がしました。

数日後に、らばるすさんの弟のHAKKAさんから手紙が届きました。

まず最初に、このようなお手紙を突然、お送りする無礼をお許しください。
この11月に兄が他界しました。

手紙には、自殺の状況、らばるすさんがわたしの作品を愛読していただけではなく、サイン会に出掛けたり、過去のインタヴューや対談などの掲載誌までネットオークションで買い集め、死後も、わたしがゲストとして登場した『おごってジャンケン隊』が掲載されている「ビッグコミックスピリッツ」が届いたということなどが書かれていました。

最後になりましたが、私が兄にしてあげられる事として、真っ先に考えついた事は柳さんにお弔いの言葉を頂けるようにがんばる事でした。
おねがいします。
一言で結構です。兄に弔いの言葉を頂けないでしょうか。

わたしは同封されていた(らばるすさんが書いた)わたしとわたしの作品についての文章を読みました(近い将来、このサイトでコンテンツに加える予定です)。そして1日置いて何度も読み返し、深呼吸をしてから返事を書きました。

わたしは、あなたのお兄さんについてなにも知りません。弔辞を書くことはある意味で容易いですが、なにも知らないのに弔辞を書くことは死者に対して失礼ではないでしょうか。来年2月ごろには時間ができると思いますので、是非、お墓参りをさせてください。そしてご遺族のみなさまにお許しいただけるのであれば、彼の部屋に立ち入らせていただき、そこで生前のお話をおうかがいしたいです。彼は亡くなってしまったのですから知り合うことはできませんが、わたしが彼を知ることはできます。

2003年2月、らばるすさんの部屋とお墓がある山口県の萩を訪ねました。
そして、弟のHAKKAさんとの文通がはじまったんです。

らばるすさんの死後、HPがアップされていたサーバの電源が落ちアクセス不能になってしまったそうですが、掲示板(柳美里ファンBBS)だけはHAKKAさんが管理を引き継いで生きていました。けれど、らばるすさんがこまめにレスを入れることによって成立していた掲示板だったので、出入りするひとはめっきり減り、廃れ果てていました。
5月の最後の日にHAKKAさんから手紙が届きました。

HPの掲示板の件ですが、最近2chの人が減ってきたので落ち着いています。書き込みしたい内容をメールしてもらえれば管理人の名前を使って処理します。最初だけその方法を使って、後は直接書き込んで頂ければと思います。
きっと兄も参加してほしかったと思うので喜ぶと思います。是非掲示板に参加して下さい。

それから、毎夜眠る前に掲示板をチェックするようになり、書き込もう、とこころの準備が整ったのは、4ヶ月後の9月18日でした。
その後の、今日に至るまでの顛末は、「名づけえぬものに触れて」に書いてあります。

オフィシャルサイトLa Valse de Miriを開設するにあたって、わたしの願いは3つでした。
1) サイト名に「らばるす」を入れてほしい。
2) 彼が生前HPに載せていた文章を蘇らせてほしい。
3) サイトオープンは、らばるすさんの誕生日の1月7日にしてほしい。

サイトの制作・運営スタッフ(全員ボランティアです)がアイデアを出し合ってくれて、サイト名はLa Valse de Miriに決まりました。
La Valse de Miri=美里の円舞曲。
ひとびとの円の中心で、わたしとらばるすさんが踊る、くるくるくるくる、とても楽しそうに、くるくるくるくる、とても哀しそうに──。

わたしがこのサイトになにを求め、どのように関わっていくのかは、これからすこ しずつ増えていくであろうコンテンツで判断していただくしかありません。

La Valse de Miri──、音楽が流れはじめました。
わたしは、死者であるらばるすさんの手をとってステップを踏んでいます。
あなた自身の思いに耳を近づければ聴こえるはずです。
あなた自身の想いに目をひらけば見えるはずです。
さぁ、あなたも……。

 

2004年1月7日

柳美里